「命を与え、裁きを行なわれる主」


   ヨハネの福音書 5章24~26節

 

「神は愛なのだから、結局すべての人は裁きなど受けずに救われるのだ。」と安易に考える人々がいます。しかし、この考え方は「この世において、正義などというものはどうでも良い。」と言っているのに等しいのです。これは聖書の教えではありません。

 

 聖書には次のように記されています。「...わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。」(ヨハネ5:24)ここで、「わたし」とは救い主イエス・キリストのことです。このお方をこの世に遣わされた父なる神様を信じる人は、誰でも永遠に祝福され、裁かれることがなく、霊的に死からいのちに移されるというのです。この世の創造主であり支配者であられる神様が、この世を裁く権威を持っていると聖書は教えています。

 

 次に、「...死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。」(ヨハネ5:25)と記されている。「死人」とは、使徒パウロの言葉を借りると、「自分の背きと罪の中に死んでいた者」(エペソ2:1)です。自分の罪のために神様から離れ、道徳的に無力であり、善をしなければならないと分かっていても、それに反することをしてしまう弱さを持ち、この良心の呵責に悩む人たちです。つまり、「霊」の死んでいた者たちです。しかし、いま御子イエス・キリストを自分の救い主として受け入れ、御子の語ることばを聞き、御子を遣わされた父なる神様を信じるならば、その人は死からいのちに移されるのです。すなわち、聖書のことばを通して御子イエス・キリストが私たちの心に語りかけてくださる言葉を聞くことです。「聞くこと」とは「聞いて従う」「信じる」という意味です。

 

 また、聖書には「それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。」(ヨハネ5:26)と記されています。真の永遠のいのちは、天の父なる神様ご自身だけが持っておられますが、そのいのちを御子イエス・キリストに下さいました。そういう理由で、私たちは、御子イエス・キリストの御声を聞き、それに従うならば、永遠のいのちが与えられるのです。