「本当に必要なものとは」

 

 私たちは、日常生活を送る中で限界を感じることがあります。それは心の中の様々な問題によることが多いのです。恐れ、不安、重苦しさ、精神的疲労、魂の渇きなどを覚えたり、絶望して生きる意欲をなくしたりする人もいます。

 

 私たち人間が生きるためには何が一番必要でしょうか。世の中の地位や名誉、仕事や財産、友人や家族、趣味や娯楽でしょうか。これらのものは、私たちにとって確かに必要であり支えとなってくれますが、いつの日か物足りなさを感じたり、失われたりするものです。それは、私たちにとって本質的、永続的な心のよりどころに成り得ないからではないでしょうか。

 

 ここに2種類の井戸の例えがあります。一つは水をくみ上げるとき、ロープのついた桶を井戸の底まで降ろして人の力でくみ上げる井戸です。もう一つは、人がくみ上げるのでなくひとりでに湧き上がってくる井戸です。前者は、人間の知恵や力に頼って生きる人を、後者は、神様の知恵や力を資源として生きる人をそれぞれ象徴しています。

 

 イエス・キリストは、わたしが与える水を飲むものは誰でも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり永遠のいのちへの水が湧き出ます。(ヨハネ福音書4章14節)と言われました。          

 

 これは、イエス・キリストが私たちに何か特別な飲み物を実際に与えるという意味ではありません。私たちが神の御子イエス・キリストを信じ受け入れるとき、私たちの心の井戸から永遠の命への水(聖霊のこと) が湧き出るというのです。イエス・キリストを資源として生きるならば、その人の人生は聖霊によって魂がうるおされ、神様の無尽蔵なる知恵と力に満たされて永遠の命へと導かれます。決して行き詰まることがありません。 

 

 このイエス・キリストこそ、私たち人間にとって本当に必要なお方、救い主であり、神ご自身なのです。あなたの心の井戸が永遠に渇くことがありませんように、そしてあなたの将来が、このお方のくださる喜びと平安と希望で満ち溢れますようお祈りいたします。