神を愛する人々にとってはすべてが益


2020年 3月 8日 日曜日 聖日礼拝 (ローマ人への手紙8章28節)

 

 「神のご計画に従って召された人々」とは、この世から神の教会の中に召し入れられた人々

のことです。この人々は「神を愛する人々」であり、クリスチャンとよばれます。ここで、「神を信じる人々」ではなく「神を愛する人々」と記されていることは興味深いことです。神様を愛するという生きた信仰がなければ、良きこと、悪しきこと、すべてを益に変えてくださる神様の素晴らしさを理解することはできません。

 

 例えば、自分にとって厳しい事態が起こったとき、神様を愛していない人は神様を恨んだり不平不満をもらすものです。しかし、神様を全身全霊をもって本当に愛している人は、そのようなことはありません。困難や試練が襲って来るとき、私たちが本当に神様を愛していたかどうかが試されるのです。

 

 ヨブ記はこのことをよく物語っています。ある時、悪魔は損得を度外視した信仰などありうるのかと神様に迫りました。それに対して、神様は「お前はわたしに忠実なヨブを知っているか。」(ヨブ1:8/ 現代訳)と仰せられました。ヨブは実に神様から信任された人物でありました。悪魔は神様の許しを得て、ヨブの全財産と10人の子供を取り去ったのです。ヨブの試練はそれだけではなく、悪性の皮膚病に襲われました。しかし、彼は神様を礼拝することを忘れず、神様に不平不満を申し上げることもなかったのです。そして、「私は何も持たずに、この世に生まれて来た。死ぬ時も、何も持たない。主が与え、主が取り去られるのだ。主こそほめたたえられるべきお方。」(ヨブ1:21)と告白しています。

 

 それに対して、ヨブの妻は「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神を呪って死になさい。」(ヨブ2:9)と言っています。これは神様を愛していない人の姿です。ヨブは神様を冒瀆することはせず、「あなたは愚かな女が言うようなことを言ってる。私たちは幸いを神から受けるのだから、災いをも受けなければならないではないか。」(ヨブ2:10)と言って妻を諭しました。神様はご自分の被造物に対して欲するままをなす権利を有しておられるという信仰から発せられた言葉です。最終的に、神様はヨブの持ち物を以前の2倍に増やし、さらに10人の子供を与えられました。

 

 神様は私たちの信仰の成長を願い、祝福をくだすことを止め、御顔を背けられ、悪しき物さえも与えられることがあります。このことによって、ヨブは心に飢え渇きが起こり、さらに神様を強く求め、神様との深い交わりの中に入れられたのです。今日、私たちにも思いもよらない災難が起こり、途方に暮れる時があるかもしれません。そんな時、絶望してはいけません。すべてを益に変えてくださる神様、イエス・キリストに信頼して祈りましょう。イエス・キリストは耐えられない試練に遭わせるお方ではありません。試練と共に脱出の道も備えておられるのです。(コリント第一10:13)